人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< カラーシャの谷の朝 カラーシャの憂い >>

カラーシャの憂い 2

カラーシャの憂い 2_d0147315_2146128.jpg

カラーシャの憂い 2_d0147315_21492040.jpg
イスラマバードから10時間以上走った「アユーン」の村。ここから更に谷を1時間以上登ったところにカラーシャの谷はある。
カラーシャの憂い 2_d0147315_21505530.jpg
アフガニスタンとの国境はわずか10km先。警備のためにジープに武装警官が乗り込んでくる。
カラーシャの憂い 2_d0147315_21522898.jpg
祭りの日はオヤジまでおちゃめだ。
カラーシャの憂い 2_d0147315_221994.jpg

カラーシャの憂い 2_d0147315_2153670.jpg
露天商もでる。
カラーシャの憂い 2_d0147315_215473.jpg
平和なようだが、これが現実だ。

昔、ヒンズークシュの谷にはイスラム教徒にとって異教徒(カフィール)が住んでいた。100年くらい前にアフガニスタン王にイスラム教への強制改宗を迫られた。その時、パキスタン側の谷に住んでいて、独自の文化を残したカフィールの生き残りを「カラーシャ」と呼ぶ・・・らしい。

カラーシャはその後、パキスタン政府によってイスラムへの改宗を迫られたこともあったが、最近は少数族として保護されるようになった。現在はブンブレッド・ルンブール・ビリールの3つの谷に3000人が暮らしている。

カラーシャに関しては、いろいろ書きたいことがあるが、その歴史や習慣など、まだ不明なことが多い。この地にあって、彼らが独自の文化を守り通したことは奇跡に近い。アフガニスタンとは山ひとつ。タリバンが暗躍する地でもある。現在はひと時の平和な生活を享受している。
by kakitarokfs | 2011-06-04 21:54 | 旅行
<< カラーシャの谷の朝 カラーシャの憂い >>